【書評】岸見一郎、古賀史健『嫌われる勇気』

岸見一郎、古賀史健『嫌われる勇気』

を読んだ。

 

売れに売れている本で、今更取り上げて恥ずかしいくらい。

 

この本は、アドラーの書いた本でもなく、アドラー心理学を純度高く解説する本でもない。

現代の日本、

青年と哲人の対話がストーリー仕立てで構成されている。

 

登場人物の一人、青年というのがなんとも青臭い感傷と幼い純粋さをもっていて、

恥ずかしくなる。

青年のトラウマである両親からの兄との比較という屈折の要因も、

あまりにもありふれていて、典型的なもがく草食系男子といったところなのかもしれない。

だいたい、哲人を論破しようとして青年はやってくるが、

なんの恨みがあって老人につっかかるんだろう。

実害がない義憤を行動原理にするのは、やめたまえよ。

 

『嫌われる勇気』は目を引くタイトルだよね。

人から嫌われたくない、と人生で一度も思ったことのないわたしにとって

青年の不安はよく分からない。

 

「すべての悩みは対人関係」というのも、

社会的動物の真理をつくよね。

 

過去のせいにして原因に固執するよりも、

今を自分で選び取るのが大切だよね。

 

自己と他者の課題を切り分けて考えるという考えは白眉だね。

他者が自己を好きになったり嫌いになったりするのは他者の問題で、

自己の問題ではない、と割り切れるようになるのはなかなか達観している。

 

少々のことで激怒されるのは相手の問題で、

相手が問題を抱えていたり怒りっぽい人物なだけだ、と

あまり気にしないようにできれば、対人関係のストレスが減るのは間違いない。

 

自分は人生の主人公ではあるが、世界の主人公ではない。

全体の一部として共同体に貢献していると実感することが幸福なこと、という志こそ高邁な心得に思えるね。

目的はなかろうが高潔に生きる人は輝いている。

 

「普通であることの勇気」の章で、青年のコンプレックスが大爆発。

図書館司書の仕事をしている青年は、

今の現状にまったく満足していないし、いつまでも続けられないとすら思っている。

てっきり本が好きで選んだ道だと思っていたけれど、違うんかいな。

両親の反対を押し切ってまで就いた職業でしょう。

 

青年は、普通であり平凡であることを認められないという。

歴史上の有名人の名前まで挙げ連ねて、成功者にならないといけない!という妙なプレッシャーを感じている。

それも、夢に向かって努力している人の代表者のように語りだすのも、

理想と現実があまりにもかけ離れすぎていて、苦しくなる。

歴史上の人物たちは全体の一部として、共同体に大いに貢献したから名を残しているんだよね。

 

章ごとのまとまりがあまりないし、

青年がいきなり妙なタイミングで腹落ちしだすのが、

わたしにはよく分からなかった。